幸せとは

 あなたが今幸せになろうと思った時、何を一番最初にしますか?

 

 例えばお腹が減ってる時においしいご飯を食べれば幸せですよね。もしくは、眠たい時にぐっすり眠る事ができれば幸せだと思います。

でもそれはマイナスをゼロに戻す幸せです。時間とお金さえあれば得られる幸せです。

僕が皆さんに聞きたいのは、「何もかも満たされている状態で、どうやって幸せになるか」です。

 

 現代の日本においては、他の発展途上国なんかと比べれば疫病で死んだりすることもないですし、戦争で大事な人を失ったりすることはありません。

多くの人々はそういう圧倒的なマイナスをゼロにまで戻そうと必死に生きています。ならば、日本人はそういう人達と比べてそもそも恵まれているので彼らと比べたら幸せなハズですよね?

そうですね、例えば、世の中のサラリーマンを見てみてください。毎日満員電車で揺られて、名前も知らない禿げたりデブだったりするオッサン達がひしめきあって、舌打ちをしあいながら小さな画面でログインボーナスを受け取っています。これが日本の当たり前の風景です。

そう。その状況においては全てが満たされています。ご飯は食べられるし寝床が突然虎に襲われるリスクもない。虫に刺されて子供が高熱を出したりしない。つまり解決するべき問題が一つもなく、ただ円滑に一日が終わっていくだけなのです。

毎日を平穏に終えることだけが幸せなのだとしたら、こんなに幸せな事ってないでしょう。ですが、僕が人類の遺伝子を代弁させてもらうとしたら

「こんなハズじゃなかった」といいたいところでしょう。

 

 僕らが進化してきた時代の変遷は、ほとんどマイナスをゼロにするものでした。そうじゃなかったものが駆逐され、あらゆる環境のテストに耐え抜いた個体だけが生き残った。

だから先進国である日本における人々の姿はいかにもそれの完成形だと言えるでしょう。生物の頂点としてふさわしい姿です。完全にあらゆるマイナスをゼロにできたと言い切れるでしょう。

しかしそれでも飽き足らず「変わらない毎日に飽き飽きした。」とか「もっと面白い事がしたい。」とか日本人は言い出します。これはなぜでしょうか。

 

 理由は”人類が倦怠期だから”です。あたり前の幸せに慣れてしまったのです。ゼロであることを幸せだと思わなくなったのです。

マイナスから勢いよくゼロに進んでいた人類はきっと「自分達の未来は明るい!将来はきっとこんなに進歩しているだろう!」と未来予想図を描いていました。

ですがそれはむなしく消え去りました。ゼロにたどり着いたが最後、そこが終着点だったのです。

人類はこれからゼロからプラスを目指していかなくてはいけない段階に入ったのです。それはすごく過酷な事で、一朝一夕で解決できるような問題ではないのです。

 

 人類はアンパンマンの歌詞でいうところの「なんのために生まれて、何をして生きるのか。わからないまま終わる、そんなのは嫌だ」の問題を考えるところに来たという事です。

人は幸せの理由は特に考えませんが、不幸せの原因は特に探ろうとします。

例えばあなたの友達が突然プレゼントを渡してきて「サプライズだよ」と言われたら「嬉しい!ありがとう!」で終わると思います。

ですがあなたの友達が突然あなたを殴ってきて「サプライズだよ」と言ったらどうでしょうか。なんで?なんで?ってなりますし、訳わかんなすぎるし、前に何か怒らせることを言ったかとか考えると思います。

健全に生きているだけで幸せな時代が終わってしまって、生きていること自体が不幸せに感じるから、どうやって生きていけばいいか人は考え始めたのです。

 

 日本の10代から30代の今を生きる人々のトップの死因が”自殺”です。

なぜ彼らが死ぬのか、答えは簡単です。「生きていること自体が苦痛だから」。

生きていることの苦痛を消すには、幸せでないといけません。ですがそれはもうマイナスをゼロにすることでは満たされない幸せという事です。

我々人類は、本当に自分達がどうやったら幸せになれるのか、個人で考えなくてはいけない段階に来てしまったのです。

その答えが出せなかった人間から、脱落して死んでしまうか、もしくは考えもしないで搾取されるかです。

思考を放棄した人間は得てして搾取されるものです。だって、搾取してもらう事でしか社会に貢献できないから。

 

 僕自身この問題には6年近く向き合っていますが、答えという答えが見つからない。

ただここには答えがありそうだとある程度アタリをつけられている場所もあります。

それは「他人を幸せにすること」です。

 

 情けは人の為ならずという言葉がありますが、間違えて意味を取ると、情け(他人に親切にすること)は人の為にならないのでやめたほうがいい、という意味になります。

正しい意味は「情けは他人の為ではあるが、めぐりめぐって自分の為になるので本質的には自分の為になる」という意味です。

僕はそもそも、めぐりめぐらなくても人の為に行動できたと自覚できた時、幸せに感じます。ただでもそれは今までやってこなかったことなので、常に困難が付きまといます。どうやったら他人を幸せにすることができるのかを考え続けなければいけませんし、おせっかいになってしまう事も多々あります。

幸せにしなきゃいけないと気張りすぎた結果擦り切れてしまって周りが見えなくなってしまったり、結局気づいたら大切にするハズの人を傷つけていたり。

ですが、そうやって四苦八苦しながらも、自分の為にだけ行動していた時より遥かに幸せに感じるのは事実です。

難しい事ほど向き合っている時は楽しいものです。

他人の為に行動することに終わりはありませんし、それができればできる程幸せを感じるのだとしたら、それはゼロからプラスを生み出したといっても過言ではないような気がします。

 

 僕は四苦八苦しながらも、それでも一緒に居てくれる他人の為にこれからも生きていこうと思います。それがどういう結果で終わるのであれ、きっとそれは明るいものだと信じたいからです。

 

ありがとうございました。